慶大愛知クラスでの活動(Activiies in Keidai Aichi Class)



1.私が入会したころの慶大愛知クラス

私は1987年10月に法学部甲類に普通課程として入学しました。入学願書の書類に税理士に なりたいという志望動機を書いた覚えがあります。その当時の通信教育部長の寺尾誠名誉教授が名古 屋で講演された時に、「内申点2.2(?)あれば入学を許可している」とのお話がありました。余 程通信教育が評価されてなかったのでしょうね。最初、私は総合教育科目の経済学を履修しました。 テキストの内容が難しく、半年間必死でテキストを履修しました。でもレポートはD。厳しいと思い ました。翌年4月に初めて科目試験を受けました。それまでは慶友会は入ってなかったです。自分一 人の力では卒業は無理だと感じ、入会したのです。でも経済学の科目試験は一回目でBで受かりまし た。結構簡単だと思いました。

それから愛知クラスの例会に参加しました。その当時の愛知クラスは参加者が少なく、しかも中高 年者が多いなあと思いました。でも私は中高年塾生とうまくやっていく自信があったので、積極的に 参加しました。当時副会長の伏屋重晴さん(現・愛知通信三田会相談役/全国通信三田会顧問)に色 々とアドバイスしてもらった記憶があります。レポートの書き方を教えてもらったのは本当のラッキ ーでした。

7月の例会の時に、当時の副会長であった河地智さん、余郷さん(下の名前は忘れました)に役員 をやらないかと誘われ、自分から書記に立候補しました。そして見事に当選しました。

2.書記、副会長、会計と歴任

役員1年目は書記を務めました。仕事内容は例会、講演会の報告をまとめ、会報PHILOSOPHIA に投稿することでした。スクーリング対策としては面白い仕事だと思いました。会長は前掲の伏屋さん で、さすがに大手鉄鋼メーカーの社員だけあって、営業力もあるし、マネジメント能力もあるなと感じ ました。私も負けじと書記のOさん、Mさん(二人とも慶應義塾大学通信教育部の塾員です)にあれこ れと指示を出しました。二人とも私にはマジ切れの状態だったことを覚えています。でも何とかまとま っていたからよかったのですが・・・。お陰様で愛知クラスの会員数も増え、9月決算で会員数180 名を超える会員数を計上しました。さすが伏屋さん。学習アドバイスに力を入れ、科目試験問題集の制 作時に他慶友会の情報を活用し、問題数をアップさせたのが大きいのでしょう。私も英語の学習アドバ イスをした覚えがあります。資料を請求してくれる会員も多かったです。

役員2年目は副会長を務めました。仕事は学習アドバイスと科目試験問題集の編集でした。編集のた めにワープロを買いこみ、大いに活用したものです。レポートの書き方や科目のレポート攻略法を実際に 問題を使って講義をしました。おかげさまで例会出席者も増え、レポートの合格者も続出しました。科目 試験問題集の編集が一番面白く、いかに正確に問題を編集するかが私の課題でした。当時の会長は多和田 正彦さんでしたが、結構会員も多く、確か200名はいたと思いました。バブル景気の関係でしょう。私 は当時の会計だったTさん(法学部乙類卒、塾員)に惚れて、友達として付き合ったものです。デートに 成功したものの、ワリカンで食事をしたのは失敗でした。見事に他の男に取られ、アメリカへお嫁に行き ました(笑)。

役員3年目は会計をやりました。その当時は吉田好弘さんが会長でした。結構お金はあったのですが、 会長が金遣いが荒く、よくけんかをしました。それでもなんとか利益は確保し、会員は200名超(実際 には180名程度の入金しかなかったです)、最終残高が30万円を突破しました。講演会やコンパに力 を入れていたのもあるんですが、結局は科目試験問題集の力だと思っています。

3.会長に就任

役員4年目は伏屋さんの勧めもあり、会長に就任しました。私がスローガンとして掲げたのは「会員 の質の向上」であります。というのは、会員数は200名弱いたのですが、何せ例会出席者が少なく、 20〜30名程度しかいなかったのが現状でした。そこで私は40名を目標にし、例会報告に目標達成率 を掲載しました。一番ひどい時で、37.5%、いちばんいい時で97.5%でした。その時に私が使っ たセールストークは「勉強方法がわかるようになるまでは月1回会の活動に参加して下さい。勉強が進む ようになったら講演会だけで結構です。」です。この言い方が功を奏し、例会の活性化に成功しました。 満員御礼の挨拶を何回したことか・・・。そのころ学生援護会の営業をやりながらでしたので、本当に大 変でした。残念ながら講演会は20〜30名と低調に終わりました。でも講演会のみ参加者に500円徴 収したり、会場費を削減したり、コストダウンには結構力を入れました。会計が諸般の事情で仕事ができ ず、会計兼任は本当にきつかったです。学習アドバイスやスキーツアー、英語U学習会、茶話会などいろ いろ力を入れました。中間決算報告もしました。科目試験問題集の郵送も無料は科目試験問題提供者のみ で、それ以外の方は返信用封筒を同封するようにアナウンスしました。あと科目試験終了後のミニ講演会 でも満員御礼を出し、私の記憶では最高実績は60名だったと思います。決算を取ったら、会員総数22 3名(過去最高、会費納入者)、残高は52万円(20万円超の利益を確保)でした。忙しくて苦しかっ たのですが、副会長の糸井運平さん・井中宏史さん(いずれも塾員)のおかげであり、会員の伏屋さんの サポートのおかげであると思います。

4.副会長に再任

総会の時まで会長が決まらず、苦戦しました。総会の時に「誰か会長やってくれる人いませんか」と言 ったところ、吉田好宏さんが立候補してくれて、事無きを得ました。役員総数は18名で、ほとんど若手 会員でした。私は副会長として残り、業務のディバイディングを遂行しました。たまには役員同士でコン パもやりました。編集のOさん、Kさん(二人ともきれいで、ナイスバディでした)には感謝しています。 書記が途中で辞めたときは正直あせりましたが、なんとかなりました。夏季スクーリングの合同コンパ では盛り上がり、東京ポニークラスにはお世話になりました。

5.システムを開発

役員退任後、私は「総合学習システム」を開発し、大反響を呼びました。なんと例会で60名を超える 参加者があったのです。やはり企画書を使った営業は効果あるなと思いました。そのころ、卒業がかかっ ていたので、伏屋さんからユニコン賞の推薦を受けました。しかし、残念ながら不合格。厳しいと思いま した(今思えば、あの賞はどちらでも良かったと思います)。

6.塾員になってから

塾員になってから、役員を2年経験しました。1年目は副会長、2年目は相談役でした。副会長として は学習コンサルティングの統括が担当でした。それと並行して、 「これが確実卒業システムだ」を開発し、大ヒット商品になりました。相談役の時にインターネットの ホームページの制作を決めて、会員は落ちたものの、残高は62万円(過去最高)を記録しました。

5.私の愛知クラスに対するビジョン

今の愛知クラスであれば、E-commerce(インターネット授業=有料、シェアウェアのダウンロードを予定) は当然として、海外在住の日本人、外国籍の塾生を会員に迎えたい。そのためにはインターネットのホームペ ージ(PC・携帯)を充実させたいのである。今愛知クラスは諸般の事情があって、活動が停滞しているが、ホ ームページのリニューアルによって巻き返しを図りたいと思います。私がホームページを作りますので、よろ しくお願いします。
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